2016年12月31日土曜日

「病は気から」を科学する

ジョー・マーチャント(著)服部由美(訳) 2016 講談社

端的に,面白い。この本で取り上げられていることは,言うなれば,身体的な病気に対する心理学的な影響だ。プラセボを,物理科学的ではないからと言って排除するのではなく,心理学的な効果として物理的に何が起こっているのかも含めて,実質的な効果として,追求しようとしている。

心理屋である私からすれば,心理学的な影響は至極普通なメカニズムだと思うけれども,つまり日本語タイトルにあるように「病は気から」の部分はそれなりに大きいと思うのはごく自然なんだけれども,一般的な医学や科学の世界からすれば,眉唾な,胡散臭い,怪しげな効果の類に入れられるわけで,そこから出発している本書は,とても新鮮である。

そもそも,たしか,本書の第9章がマインドフルネス瞑想を取り上げていたことがきっかけで買ったと思う。瞑想の研究はここ数十年で増え続けている。マインドフルネス研究もその一つだ。

本書の良いところは,西洋医学の文脈には載らない療法や治癒プロセスを,十把一絡げに代替医療として排除・否定してしまうのではなく,一つ一つ丁寧に取材し,調べ,心理学的な影響を認めて遡上に載せている点だ。無論,心理学とは科学であり,メカニズムも科学的に説明可能なものである一方で,科学のロジックから大きく外れた療法は明確に否定している。

洋の東西を問わず,世界のあらゆる代替医療を一括りにして排除・否定する論を張る本もあるけれど(それはそれで立場も明確で面白いけれど),本書はその意味で非常にニュートラルであり,科学的である。

心理屋は,読んでおくべきでしょう。日本語訳も分かりやすい。

2016年12月6日火曜日

禅の教室:坐禅でつかむ仏教の神髄

藤田一照・伊藤比呂美 2016 中公新書

良い。とても良い。まず伊藤氏の問いが良い。そしてそれに真摯に一生懸命応える藤田師がまた良い。もちろん,テープに取った音声を起こして,読みやすく編集し直しているんだろうけれど,二人の問答が,こぎみよくて,良い。

何より,本書のテーマは,「禅とは何か」だと思う。で,ここでの一つの答えとしては,禅とは仏教すること,仏教の実践が禅だということ。仏教にはいろいろ教義やら経典やら言葉がたくさんあるけれど,要は身体で坐れ,っちゅうことだと。

僕などは,やっぱり,仏教の専門でないし,仏教の世界は広くて深いから,生兵法で仏教用語をかじったり仏典の概要を知ったりしたところで,中途半端になるだけだと,常々思っています。

だから,坐る。

坐ることは,掛け値なしに,誰が坐っても坐るというただ一点については,同じ。シッダールタも藤田師も僕も同じ。

僕のような一般人は,仏門に入るわけではないけれど(出家するわけではないけれど),仏教することはできる。仏教するとはこういうことだということを,教えてくれる一冊です。

なお,本書の中で,坐禅と瞑想は違うとか,禅とマインドフルネスは違うとか,ときどき出てきますが,そんなのはたぶんどうでもよいことであって(いや,禅僧のみなさんや南方仏教の方からするとそうは行かないのかもしれないのですが),結局のところ藤田師もどうでも良いと思っているのではないかと勝手に推察して,つまり,要はごちゃごちゃ言ってないで,難しい仏教の教義や経典なんかも放っておいて,まぁ,とにかくただ坐るのが,良いんじゃないかと,僕は思います。

ごちゃごちゃ面倒くさいことは全部置いて,打坐。シンプル。