2014年12月28日日曜日

八極拳と秘伝:武術家・松田隆智の教え

フル・コム(編) 山田英司(著) 2014 東邦出版

「強さへのあこがれ」。このことに尽きるかもしれない。武術をやってみようと思う誰もが,まずは第一に強さへのあこがれが意識的に無意識的にもあるのは当然だと思うけれども,それを徹底的に突き詰めていくとこういう風になるんだろうね。

で,良く言えば(ポジティブに見れば),読んでいてワクワクさせる武勇伝とビルドゥングスロマンと師弟愛の物語,悪く言えば(ネガティブに見れば),ごくごく限られた世界で強いの弱いの上手いの下手だの効くの効かないのとせせこましいただの自慢話。

小説にしたら面白いと思う。なぜなら小説は架空の話だから。これが現実だと思うとどうも鼻につく。そんなに強いの弱いのに,よく長年こだわれるなぁと思う。それに例え著者らは毎日何時間も稽古しているとしても,○○流だとか○○拳だとかをたった数年間でいくつも修得したかのように言うのはどうなんだろう。武術ってそんなに易いものなのかね。

○○拳とやらを一つとっても,修得したな~俺,とある日ふと思うのに普通,何十年とかかるんじゃないだろうか。○○拳だとか××拳だとか■■拳だとか,そんなにあれこれ習って,その一つ一つはそんなにどんどん修得できて,すぐさま人に教えられるものなのかな。

これがもし小説なら,その辺は全部受容できる。夢枕獏ばりに,あり得ない若さで奥義の術を体得した超人的登場人物が出てきても,それは良しとしましょう。その方が面白いから。だから山田英司氏,これ,あくまで<小説>として書けば面白かったのに(そう,だからこの本,小説だと思えば,面白いんです)。

いやまぁ,しかし,そうは言っても,何歳になっても強さにこだわって術の錬磨を続けているこの山田氏の情熱には脱帽である。強いの弱いのってのが,ある一定の人には人生を大きく規定するほど,強烈な動因になりうるんだなと言うことを,感じました。

ほっとする老子のことば:いのちを養うタオの智慧

加島祥造 2007 二玄社

「老子道徳経」の現代語訳ですが,加島氏の詩的センスでもって,柔らかく優しい言葉になっています。とても良い。読んでいて気持ちが良い。拙訳『タオ・ストレス低減法』にも,「老子」の引用(第42章)があったので,私の訳よりもずっと良いと思い,加島氏の訳をそのまま使わせていただいています。

2014年12月22日月曜日

たたずまいの美学:日本人の身体技法

矢田部英正 2011 中央公論社

「日本人の」としているけれども,なんとなくそれは江戸時代や明治・大正・昭和初期ぐらいを想定しています。まぁ,こういう議論は良くあるから,特に本書だけに限ったことではないけれど,なぜ「日本人」というときの「日本人」はちょっと昔の「日本人」なのだろうか。

確かに文献的史料や図像的な史料が限られているからだろうけれども,そもそも江戸時代後期や明治期だって,その時代の影響を受けて成立しているのが身体技法だろうから,それよりも前の例えば鎌倉時代だとか室町時代だとかとはまた違った技法なんじゃないだろうか。飛鳥,奈良,平安だってそうでしょう。そうなると,奈良や室町だとかの頃の日本人は「日本人」じゃないのか,という話になる。なぜそう思うかというと,では,現代の日本人は「日本人」じゃないのか,と思うからだ。なぜ日本人の身体技法というものを過去に求めるのだろうか。それもなぜかだいたい江戸時代。そんなに江戸時代がすごいのか。そんなに江戸時代好きか。

本書はこうも言う。長い歴史によって培われた身体技法は,無意識的だから,簡単には変化し得ない。変化するとすれば特別な訓練(芸道や武道)によってぐらいしか変わらない。しかし,そう言いながら,最近の日本人は下駄を履いて歩く技法が失われていると指摘する。あれ?無意識に染みついてるから早々には変化しないんじゃなかったっけ?

とまぁ,前半ですでに,論理的な矛盾だとか,著者の主張に合わせた現象の解釈だとか,読んでいて何とも腰の収まりが悪く,そのむずがゆさに耐えられず,真ん中ぐらいで読むのを止めました。

2014年12月19日金曜日

日本人の身体

安田登 2014 ちくま新書

能楽師でありロルファーである安田登氏の日本人論。「日本人の身体」というタイトルなので身体の話かと思いましたが,全体としては,身体論というより日本人論,さらにいえば「昔の日本人」論と言って良いくらいの広い内容です。それを『古事記』や『聖書』などを手がかりに浮き彫りにしていこうという展開。ざっくりと結論づければ,日本人はもともと,あいまいで境界のないぼんやりとして寛容でおおまかな(身体)感覚を持っていたけれど,近代の西洋化によってそうではなくなってしまった,という主張です。著者の安田氏本人も,書いている内に考えがどんどん広がった,とあるようにとにかく話はあちこちに飛びます。ただ,もともと能楽師になる前は漢語辞典の編集に携わるなど,漢字の専門家だそうなので,語源や起源となる象形文字からの説明がよく出てきます。まぁしかし,この方,とにかく博学,博覧強記です。しかもロルファーだし。

2014年12月12日金曜日

<法華経>の世界

ひろさちや 2014 佼正出版社

法華経の全28章を丁寧に一つ一つ順を追って,分かりやすく説明しています。順を追ってはいますが,適宜,理解を促すあるいは深めるために,先んじて後の章の内容を補足的に説明したり,ここの章のこれこれは後のこれこれという章ともこういう風に関連してきます,と臨機応変に解説しています。勉強になりました。ただ,自分はつくづく漢語の読み下し文を読むのが下手だなと思いました(読みにくくて,いまいち意味が入ってこない)。高校の時,漢文の勉強をちゃんとしておけば良かった・・・。こういうのが,まさしく,教養ですね。

2014年12月3日水曜日

身体の知性を取り戻す

尹雄大 2014 講談社現代新書

本書の主張をざっくりと(勝手に)解釈すれば,「身体の自然な声を聴け」ということかと思います。それには大いに同意します。本書は,著者の武術修行の経験を踏まえつつ,なんとかそのことを伝えようと書かれた力作です。これは内容的なこととして,これとは別に読書中あるいは読後感として思ったのは,著者は,なんでこんなにイライラしているのか,ということです。イライラしているというか,怒っているというか,悲しんでいるというか。言葉の選びがとげとげしいのかもしれない。でもそれは著者の思いが滲み出ているものだと言えます。3.11以降に書こうと思ったテーマだと,あとがきにあります。だから悲しいのか,だから怒っているのか。しかし,誰に対する苛立ちなのか,自分に対する苛立ちなのか,世の中に対する苛立ちなのか。とにかく,本書全体を包むオーラが「怒り」あるいは「苛立ち」のような気がするのは,僕だけだろうか。