2014年12月22日月曜日

たたずまいの美学:日本人の身体技法

矢田部英正 2011 中央公論社

「日本人の」としているけれども,なんとなくそれは江戸時代や明治・大正・昭和初期ぐらいを想定しています。まぁ,こういう議論は良くあるから,特に本書だけに限ったことではないけれど,なぜ「日本人」というときの「日本人」はちょっと昔の「日本人」なのだろうか。

確かに文献的史料や図像的な史料が限られているからだろうけれども,そもそも江戸時代後期や明治期だって,その時代の影響を受けて成立しているのが身体技法だろうから,それよりも前の例えば鎌倉時代だとか室町時代だとかとはまた違った技法なんじゃないだろうか。飛鳥,奈良,平安だってそうでしょう。そうなると,奈良や室町だとかの頃の日本人は「日本人」じゃないのか,という話になる。なぜそう思うかというと,では,現代の日本人は「日本人」じゃないのか,と思うからだ。なぜ日本人の身体技法というものを過去に求めるのだろうか。それもなぜかだいたい江戸時代。そんなに江戸時代がすごいのか。そんなに江戸時代好きか。

本書はこうも言う。長い歴史によって培われた身体技法は,無意識的だから,簡単には変化し得ない。変化するとすれば特別な訓練(芸道や武道)によってぐらいしか変わらない。しかし,そう言いながら,最近の日本人は下駄を履いて歩く技法が失われていると指摘する。あれ?無意識に染みついてるから早々には変化しないんじゃなかったっけ?

とまぁ,前半ですでに,論理的な矛盾だとか,著者の主張に合わせた現象の解釈だとか,読んでいて何とも腰の収まりが悪く,そのむずがゆさに耐えられず,真ん中ぐらいで読むのを止めました。

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