2012年10月20日土曜日

死体は見世物か:「人体の不思議展」をめぐって

末永恵子 2012 大月書店

かつて私もこの「人体の不思議展」を見に行ったことがあります。たしか2003年の東京展(国際フォーラム)。ごく興味本位で人体の内部,それも模型ではない本物の人間の内部が見てみたいという好奇心のもと,また,展示の希少性のゆえに,行きました(学術的な展示だろうから,今回行かなかったら,二度と見られない,という思い込み。実際はその後も至る所で巡回開催してましたけど)。そのときの心情は,半分は「見世物小屋」見物根性ではないとは言い切れません。

行ってみて思ったのは,「この死体は中国人のようだけど,たぶん,死刑囚とかなんだろうな」と思い,生前の生活を想像すると,ここで展示されていることにちょっと違和感を覚えました。死体ではあっても,人が展示されていることの,なんとも言葉では表しにくい違和感です。こうして展示されてしまったのは,元・死刑囚だからか?元・死刑囚だから何をされても文句は言えない?いやそれはまたおかしい。人は人だ。中国はそういうことが許されている国なのか?この人は生前に,こんな風に展示されると分かってたのかな?(分かってないだろうな,さすがに,東京で一般人向けにこのポーズは)などなど。あとは,死体が展示されているということの,おぞましさ,というか,笑えない感覚というか。そもそもそれが,元々足を運ぼうと思った「見世物小屋」見物根性,つまり,怖いもの見たさの源泉でしょう。

ただ,人間の内部の構造を見るという機会は,模型でさえ普段はないので,貴重な体験ではありました。もしただの模型展示だったら,注意が向かず,動機づけられず,見に行かなかったでしょう。人体の内部を見たからどうだ,というわけではないですが,本物だからこそ,人体の内部をこの目で見たいという動機づけが湧いたのもまた,事実です。私たちには,身体感覚,内臓感覚というものがあります。ですが実際それがどういう形をしているのかということを,普段は,絵や図や写真などでしか見ることはありません。それで十分といえば十分ですが,実際目の前で実物大の身体内部を見ることは,その身体感覚,内臓感覚をよりリアリティ(具体的イメージ)をもって感じることにつながります。人体の内部を見たいという欲求は,その,身体感覚,内臓感覚の裏付けが欲しいという欲求です。ただ,それは普段の生活の中で頭から離れないぐらい強い欲求ではありません。だから,模型の展示であればスルーしてしまうところでしょう。本物の人体であるという強烈なアクセントが,そうした欲求を満たしたいという興味とリンクしたことは,また,まぎれもない事実です。

一方,展示そのものとは別の次元で感じていた違和感もありました。それは,希有な学術展示だと思っていたので,その後,日本全国で巡回開催をしているのを新聞で見る度に,なんだこれは興業なのか,真面目な学術展示ではなくて営利目的なのか,死体をこんな風に商売に使っていいのか,何だかいやらしいなぁこの興業,という違和感です。

そういう諸々の違和感を抱えていたので,早速,本書を購入。読んでみて,私が抱いていた違和感1つ1つの謎が解けました。何がどう問題なのかが,分かりやすく紐解かれています。この「人体の不思議展」の巡回興行に,言葉では表しにくい違和感を感じていた方は,本書を読むと丹念に言葉で表してくれているので,是非一読を。

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